節分といえば、「鬼はぁ~外、福はぁ~内!」の「豆まき」。
小さい子のいる家庭では、お父さんが鬼の役になって、豆をぶつけられながら逃げ回ったりします。
しかし、どうして節分に「豆まき」をするのでしょうか。
節分
節分は、季節の変わり目である、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。
節分の文字どおり、季「節」の「分」かれ目ということです。
本来、節分は、春夏秋冬の年4回ありましたが、次第に、立春の前日だけが、特に重要視されるようになっていきます。
旧暦に、「立春正月」という言葉があり、春が始まる「立春の日」を1年の始まりと考え、立春の前日の「節分の日」を、大晦日と同じように、特別な日と考えていました。
春を迎えるということは、新年を迎えるのと同じくらい大切な節目だったというわけです。
豆まきの由来
昔の宮中行事に、「追儺(ついな)」という厄払いの行事がありました。
当時は、季節の変わり目には、邪気が入りやすいと考えられていて、新しい年を迎える前に邪気を払って、福を呼び込むという行事です。
追儺の行事は、俗に「鬼やらい」「厄払い」とも呼ばれ、その行事の「豆打ち」の名残りが今の「豆まき」の由来になっているといわれています。
当時の豆打ちは、宮中で陰陽師により執り行われていました。
鬼の格好をした者を、災害や疫病などの災いに見立て、黄金の仮面を被って矛・盾を持った者が、豆をまき散らしながら、鬼を追い払っていったとされています。
鬼
鬼(おに)は、「陰(おん)」に由来しているとか、「隠人(おんにん)」に由来しているなどといわれます。
「陰(おん)」とは、目に見えない気、中でも邪気のことをさし、それが「おに」になったという説や、「隠人(おんにん)」は隠れているこわいもので、それが「おに」に変化したという説があります。
いずれにしても、形の見えない災害、病、飢饉など、人間の想像を超えた災いは、鬼の仕業と考えられていたのです。
新しい年(立春)を迎える前日(=節分)に、豆まきをして鬼に豆をぶつけて邪気を払い、福を呼びこもうというわけです。
どうして大豆?
五穀(米・麦・豆・ひえ・あわ)には、穀霊が宿るとされ、穀霊で悪霊を払ったといわれています。
大豆は、五穀のひとつで、米に次いで、よく神事に用いられていました。
米よりも粒が大きく、悪霊を祓うのにも適していることや、魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて、魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じます。
また、京都鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げで、大豆を鬼の目に投げつけて退治したという昔話もあります。
大豆は炒る
節分の豆まきの豆は、「炒った豆」を使わないといけません。
豆まきの後には、まいた豆は拾って食べますが、なかには、拾い忘れる豆もあります。
この拾い忘れた豆から芽がでると、災いが起こるとされていたので、拾い忘れても芽が出ないようにと、炒った豆で豆まきをするというわけです。
また、「炒る」は「射る」に通じ、「魔目を射る」という意味もあります。
節分の豆は「福豆」
節分の豆は、豆を炒る(魔目を射る)ことで、邪気を祓っているので「福豆」と呼ばれます。
節分に豆(福豆)を食べるのは、福を体に中に取り入れて、1年を健康に過ごせるようにとの願いが込められています。
節分に食べる豆の数は、「年の数」と言われたり、「年の数+1」と言われたりします。
どちらが正しいのか迷ってしまいますが‥。
これは、どちらでも構わないようです。
福豆を食べるのは、「年の数だけ豆を食べて、年と同じ数だけの福を体に取り入れる」という意味があります。
1個多く食べるのは、来年も健康でいられるように、との思いが込められているというわけです。
昔の、立春から新しい年が始まるという考え方からすると、節分は立春の前日なので、旧年に豆を食べることになり、新しい年の分ということで1個多く食べたということのようです。
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年中行事は、それぞれの地方によってやり方が違うことがよくありますが、節分も、それぞれの家庭のそれぞれのやり方やルールで、鬼を払って福を呼び込みましょう。